2011/01/13

エリック・ディーン楽団とミュージシャン達

ジャマイカのジャズファン10人にジャマイカ最高のジャズバンドは?と聞けば、10人がエリック・ディーン楽団と答えると思います。
エリック・ディーン楽団のバンドリーダーであるエリック・ディーン本人についての人物像などはジャマイカ国内でも全く語られることが無いため、詳しいことはわかりません。
(ここらへんは個人的にも興味があるところなので、ジャマイカで詳しそうな方に質問をぶつけてみたいと思っております)

ここでは、あまり語られることのないエリック・ディーン楽団とミュージシャン達(特にドン・ドラモンド、トミー・マックック、レイモンド・ハーパー)について、私の知ってる範囲で簡単に書いてみたいと思います。

ジャマイカでレコードビジネスが始まる以前の1940年代~1950年代、ミュージシャン達にとっての活動の場はメントまたはジャズのバンドでした。そのバンドの中でも最高峰とされていたのがエリック・ディーン楽団です。

ソニー・ブラッドショウさん(エリック・ディーン楽団でキャリアをスタート、その後バンドリーダーとして活躍。後にジャマイカ音楽家協会を設立。)によると「エリック・ディーン楽団でキャリアを積んだミュージシャンは破格の扱いで他のバンドリーダーに引き抜かれていった」とラジオのインタビューで語っていました。

その後のジャマイカ音楽で重要な役割をはたした数多くのミュージシャン達(有名どころではドン・ドラモンド、トミー・マックック、レイモンド・ハーパー、アーネスト・ラングリン*、ローランド・アルフォンソ**、ディジー・ムーア、ババ・ブルックス、リコ・ロドリゲス、ロイド・ブレヴェットなどなど)は、期間の違いはありますがエリック・ディーン楽団でキャリアを積んでいます。

その中でも、特に輝き、存在感を発揮させたミュージシャンはドン・ドラモンドです。それに続きトミー・マックック、レイモンド・ハーパーでしょう。
この3人が最高のプレイヤーとして語られるのは、この時期に築いたキャリアが絶大だったからだと思います。

3人に共通しているのはアルファ・ボーイズスクールから才能を期待され、エリック・ディーン楽団でプロのキャリアをスタート。そして成功を収めている点です。
(日本の野球で例えると、強豪校の主力選手として甲子園で活躍し、読売ジャイアンツにドラフト1位で入団するみたいな感じでしょうか)
ドン・ドラモンド、トミー・マックック、レイモンド・ハーパーが最高の舞台でどのような演奏をしていたのか想像するだけで楽しいですね。

*アーネスト・ラングリンはギタープレイヤーとしては当時からトップクラスでしたが、ギタープレイヤーがジャズバンドで存在感を発揮するのは'50年代後半以降、スウィングジャズ全盛だった当時の花形楽器はホーンとピアノでした。
**ローランド・アルフォンソはジャズミュージシャンとしての評価は高くありません。(アルファ・ボーイズスクール出身でないということも影響があるのかも)エリック・ディーン楽団でも使い走りのような扱いだったようです。

トミー・マックックはレイモンド・ハーパーをジャマイカのハリー・ジェイムスと呼んでいます。そのことについて前出のソニー・ブラッドショウさんは「ベニー・グッドマン楽団のエーストランペッターとして活躍したハリー・ジェイムスの姿に重ねたもので、プレイスタイル自体は違うスタイルだ」とも語っていました。

トミー・マックックとレイモンド・ハーパーはエリック・ディーン楽団での成功を足がかりに他のバンドに移っているのに対し、長期にわたりエリック・ディーン楽団の看板として活躍したのがドン・ドラモンドです。

かの有名なサラ・ヴォーンとのセッションもエリック・ディーン楽団でのものでした。
また、ドン・ドラモンドのニックネームにもなった”ドン・コスミック”はエリック・ディーン楽団のメンバーとしてカリブツアーに同行し、各国のトッププレイヤーとセッションしたときに感じたインスピレーションを、帰国後すぐにスタジオ・ワンで録音したものとして有名です。

今回はあくまでもスカ期に活躍したミュージシャンを中心に書きました。ここで語れなかった知らざれる偉大なミュージシャンやエリック・ディーン本人については宿題として残しておきたいと思っています。

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